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なぜガリレオは400年前に衛星写真なみの精度で月をスケッチできたか?大人は「知識」よりも「意識」を変えよう

「17世紀に月の山脈をスケッチした男がいた!」

こう書くと、なんだかオカルト雑誌の
見出しのようですね。

でも、これは事実です。

その男の名前はガリレオ・ガリレイ
1610年に発刊した「星界の報告」の中に
そのスケッチがあります。

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それは驚異的なものでした。

クレーターや月の月面の凸凹までが
再現されており現在の衛星写真と比べても
遜色はありません。

なぜガリレオはこんな正確な描写が
できたのでしょうか?

1. 400年前に月の山脈を描いた方法


もちろん月面に行くことはできません。
望遠鏡をのぞきながらスケッチしたのです。

では、彼の望遠鏡が著しく
高性能だったからでしょうか?
もちろんそれもありました。

幸い、ガリレオの生きたイタリアは
ガラス工芸の先端都市でした。

ガリレオは、望遠鏡の存在を知るやいなや、
望遠鏡制作に没頭し、
3ヶ月で100台の試作品をつくりあげます。

そして倍率20倍の当時最高の
望遠鏡を完成させたのです。

でも、それは一つのきっかけに
過ぎませんでした。

当時の科学の通説は次のとおりでした。

「天体は、エーテルという
 大気で遮断された地球とは異なる神の世界だ」
「月は完全な球体であり永劫の真珠である」

ガリレオは、この常識を
真っ向から覆したのです。

「月の表面には地球のように山や谷がある」

それは単なる観察報告ではありませんでした。

プレゼンテーション1

それまで宗教観への大いなる挑戦であり
革命でもありました。

なぜガリレオはあえてそれを公に問う
ことができたのでしょうか?

その勇気と確信の源は何だったのでしょうか?
実は、ガリレオにはもう1つの顔があったのです。

2.ガリレオは芸術家だった


実は、ガリレオは芸術家でもありました。

29歳のときフィレンツェにある
アカデミア・デル・ディゼーニョに入学しています。

ここでガリレオは絵の基礎である
線遠近法や立体感を
出す明暗法を体得しました。

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その視点で月見た時ガリレオは、月面の暗い影は
山の影であることを見抜いたのです。

つまり、ガリレオは芸術を通して
他とは異なる「世界の見方」を
手にいれていたのです。

3.  「知識」ではなく「意識」を変えよう

私達は学校や職場で
様々なことを学んできました。

その多くは「知識(スキル)」を増やすことが目的でした。
もちろんそれも不可欠です。

でも、さらに大きく飛躍するには、
「意識」を変える必要があります。

すなわち、「世界の捉え方」を
学んだり、あなた自身の「世界観」を
見つめ直す時間が必要となります。

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ガリレオもたとえどれほど
高性能の望遠鏡を持とうが
旧来の宇宙観のままでは
月の本来の姿をありのままに
観察することはできなかったはずです。

私達ヴォルテックスの役目もこの点にあります。
「知識(スキル)」を増やすだけでなく
あなたの「意識」の変化、
「世界観」の変化のサポートを
しています。

そしてあなたの人生のなかでの
価値の大発見の瞬間に
立ち会わせていただきますよ。

本日もお読みいただき
ありがとうございました。

芸術の修行は、深くあなたの意識を
変えてくれます。とはいえ、忙しい
私達はその時間がありません。短時間で
宇宙につながる意識を体感できる手法に
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参考文献A(P.76~78)
参考記事

https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2008_01/2008-01-01.pdf











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