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人生の必要なものはすべて目の前の課題が与えてくれる-鉄鋼王が「鉄鋼」の前に出会ったもの

こんにちは
「魔法の宝地図」著者の望月俊孝です。

1.死後も尊敬され続ける大富豪

1919年、ある大富豪の遺言書が公開され
大きな話題となりました。

「自分の資産3億5,000万ドルを
 地元の図書館から世界平和に至るまでの
 さまざまな施設や目的のために寄付する」

この大富豪こそが・・・

カーネギー

博愛主義者として死後も
尊敬される大成功者です。

あなたもご存知かもしれません。

そこで、今回、お伝えしたいのは
彼が「鉄鋼」に出会う前の物語です。

スコットランドからの移民であり
13歳から家族のために重労働に
身をおいた彼が、どのように
経営者・資本家の道に入ったのか。

その0→1の物語をお伝えします。

そこには、次の4つのCがありました。

0927日資料

2. 【change(変化する)】13歳、はじめての給与は1ドル20セント

カーネギーは1835年、
スコットランドで生まれました。

父親は、腕の良い麻布の機織り職人でした。
しかし、産業革命により蒸気で動く
機織り機が出現します。

たちまち父親は仕事を失います。

ここで、母親のマーガレットは
姉妹を頼り、アメリカへの移住を提案します。

1848年、一家はペンシルベニア州にある
おばの家の空き部屋に住むことになりました。

カーネギーは13歳
後、4年間は学校に行ける年齢です。

しかし、カーネギーは一家を
支えるために、力織機の糸巻きの
仕事につきました。

最初のchange(変化)です。

朝早く夕方遅い重労働です。
賃金は、週1ドル20セント。

しかし、カーネギーはこう述懐します。

「あれ以来、何百万ドルと稼いできたが
初めての稼ぎを手にしたときほど、
うれしかったことはない。」

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次にカーネギーは、週給2ドルの
ボイラーの火の番の仕事につきました。

責任感の強いカーネギーは
自分の不注意で工場が爆発する
悪夢によく悩まされたそうです。

そこでchallenge(挑戦)がおとずれます。

3 .【challenge(挑戦する)】簿記とモールス信号、経営の世界が見えた日々


読み書きが得意なカーネギーに
上司が計算書や会計帳簿作成の
手伝いを頼んできたです。

はじめて「経営」に触れた瞬間でした。

カーネギーはこのチャレンジに
全力を注ぎました。

仕事が終わると、対岸にある
ピッツバーグの夜学に通い
自発的に複式簿記を学んだのです。

この姿勢に関心したおじは
カーネギーをある場所に連れていきます。

ピッツバーグ電報局です。

野心にあふれたカーネギーは
すぐにそこで働きはじめます。

このチャレンジも
大きな飛躍になりました。

電報の配達中に指折りの実業家と
定期的に会えるようになったのです。

ここで生の実業の世界を目にします。

もちろん学習は欠かしません。

配達のない午前中は、独学で
モールス信号を覚えました。

上達ははやく、
数週間で常勤の電信技手に抜擢されます。

入電したメッセージを逐次翻訳する能力は
他の追随を許さないものでした。

週給は倍の4ドルになりました。
しかし、何よりの報酬は「情報」でした。

当時の価値ある情報はすべて「電信」を
通してやり取りされます。

その真っ只中にいたカーネギーは、
最もピッツバーグの実業界に
詳しい人物になったのです。

見事にチャレンジをこなした
カーネギーに、chance(機会)
訪れます。

4.【chance(機会に出会う)】メンターとの出会いと経営者意識の目覚め


なんと「引き抜き」の話がきたのです!

相手は、ペンシルベニア鉄道。
当時、全米トップの鉄道会社でした。

カーネギーを指名したのは
トマス・スコットという男でした。

西部区長を務めるスコットは
カーネギーの噂を聞きつけ
自分の直々の補佐に雇い入れたのです。

カーネギーはこの時、17歳。

13歳で働きはじめた彼は、
わずか4年で全米トップの鉄道会社の
社員になったのです。

(月給は35ドルになりました)

ここから、本格的な
経営者の修行が始まります。

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鉄道業は代表的な大規模事業です。
経験や勘ではない合理的な経営手法
求められます。

カーネギーはスコットを
メンターとして12年間
徹底的にそれを体得します。

特に学んだのは経費の把握です。

それは、自分の給料だけを
考える「従業員」の姿勢から
「経営者」に向かう大切な第1歩でした。

このとき学んだコスト削減と
原価管理のスキルは、後年の
鉄鋼ビジネスでも発揮されました

カーネギーは生涯
部下にはこう伝えたそうです。

費用の計算書を見せること
 出費をどのようにどれだけ抑えたかが、
 どれだけ収益を上げたかよりも
 ずっと興味深い。」
「というのは、収益は取引条件によって
 変わる当座の結果だが、出費の抑制は
 この先、永久につづくものだからだ。」

やがてメンターの思考回路を真似
できるようになった矢先、1つの
事件が起きます。

5.【choroi(チョロい)】一世一代の勝負事で人生のステージを上げる

ある朝、カーネギーが事務所に向かうと
汽車が全線でストップしていたのです。

大事故でした。
一刻も早い復旧がのぞまれます。

カーネギーは以前似たような状況での
スコットの動きを覚えていました。

「自分ならば、他の作業員の協力を得て、
 事態を復旧させることができるはず」

chori(チョロい)と考え、カーネギーは
一世一代の賭けにでます。

なんと、スコットの署名を偽造して
全線に指令を出し始めたのです。

しくじれば、犯罪者です。

しかし、結果は大成功!
西部管区の汽車は事故車両を
避けて、滞りなく復旧したのです。

当初は驚いたスコットも、
愛弟子カーネギーの活躍を
いたるところで自慢しだします。

そして、ついには
ペンシルベニア鉄道の社長が
直々にカーネギーに会いにきたのです。

この大勝負は一気に
カーネギーの名声を上げてくれました。

1859年、スコットが副社長に昇進すると
カーネギーもそのまま引き上げられ
ペンシルベニア鉄道西部管区長に昇進します。
入社6年目の異例の抜擢です。

さらにこのメンターは、
収益性の高いアダムズ運送会社の株を
カーネギーに紹介し、
なんと購入資金まで用立ててくれたのです。

ここからカーネギーは
本格的に資本家・経営者の
レールに乗り出します。

6.人生に必要なものは、すべて目の前の課題が与えてくれる

いかがでしたか?

カーネギーの若き日々は、
あまりにシンプルです。

目の前の課題に120%取り組み続ける。

目の前の課題から逃げず、
観察・自己学習・創意工夫を繰り返し
当事者として臨む。

この繰り返しです。

でもこうした【4C】のサイクルは、
給与、地位、名誉、能力、人脈など
のちに鋼鉄王に向かうお膳立てを
いつの間にかしてくれていたのです。

誰もが目の前に課題があります。
なぜならば、そこが
明るい未来への入り口だからです。

そこに向けて、120%の力で
4Cをする決意をした瞬間から
あなたの明るい未来は始まっていますよ。

本日もお読みいただき
ありがとうございます。

あなたはどの分野で4Cをしますか?
その第1歩は本が教えてくれます。
望月が世界の成功者の智慧を学んだ
4C読書法をオンラインでお伝えします。
▼詳しくはすぐ下のバーをクリックしてください

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参考文献(P.90~107)、感謝いたします。









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